2026/7/12
7月11日(土)午後、#大田区立郷土博物館 で9月13日(日)まで開催中の特集展示『#大森駅開業前夜 ー #150年前の大森を振り返る ー』のミュージアム・トークを受講しました🚂
特集展示については、下記でレポートしていますのでご覧ください(↓)
https://note.com/shojimatakahiro/n/n0879d8deabbf
2回あるミュージアム・トークは、いずれも大森駅開業前後の大森の産業について焦点を当てるものです。
第1回のこの日は「#近代の海苔養殖のあけぼの」。講師は、今回の特集展示を担当した、#乾賢太郎 学芸員。2023年度の特別展『海苔商たちの底力』の担当でもありました。
江戸湾の品川・大森沿岸で海苔養殖が本格化したのは、江戸時代の享保年間(1716〜36)。潮の干満のある遠浅の海が、海苔の胞子を付けたヒビ(支柱)を立てて養殖するのに適していたことで、農業の副業として始まったとのこと。幕府が認めたのは、品川宿、大井村(以上、現・品川区)、不入斗村、大森村、糀谷村(以上、現・大田区)の5地区のみ。とりわけ、大森村は、天保年間(1830〜43)で、全体の海苔養殖場面積約24万坪の半分に当たる約12万坪を占めており、圧倒的だったそうです。
戊辰戦争が起こり、東征してきた新政府軍に対し、その大森村がいち早く五千両の軍資金を献金。見返りに、新漁場(官軍場と呼ばれる)が許可されたのは、地元の歴史好きには有名な話。この大森村の抜け駆け的な行動がきっかけで、幕府時代には許可を得られなかった、羽田村、羽田猟師町、鈴木新田などにも生産が広がっていったわけです。明治に入り、東京府が編纂した地誌や歌川広重(三代)が描いた錦絵でも、大森は海苔が名物とされ、#大森の海苔 が「#東海第一ノ名産」として知られていたことを改めて認識しました。
なお、『#海苔商たちの底力』の時にクローズアップされた、信州諏訪の海苔商人たちが、大森の海苔の流通を担うとともに、新たな生産地を全国に広げたことのおさらいにもなりました。私の故郷・九州にある有明海、大田区の友好都市・宮城の東松島なども海苔が名産品ですが、これらも大森から広がったことから、大森が「#海苔のふるさと」と呼ばれる意味も改めて認識できました(平和の森公園に「大森海苔のふるさと館」があります)。
第2回のミュージアム・トーク「麦わら細工から麦稈真田へ」は、他用と重なり受講できないのですが、#麦わら細工 も、東海道の品川と川崎の間(あい)の宿であった大森名物として知られた、大変魅力的な産業です。
今回の特集展示に関するレポートの繰り返しになりますが、これだけ海苔や麦わら細工で知られていた大森ですので、いまから150年前の明治9(1876)年6月12日に駅(停車場)を設けた際に、その場所は東海道より内陸の新井宿村であったにもかかわらず「大森駅(当時は大森停車場)」としたのは、いかに大森の地名にブランド(#大森ブランド)があったかの証であろうと思いました。
#文化大好き議員 #大森駅開業150周年
#チクメン #一所懸命 #とことん現場主義
#あなたと共に政策実現
#大田区議会議員 #庄嶋たかひろ #庄嶋孝広


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