2026/6/15
議案調査の期間中、ふと思いついて愛車のPCXとともに刈田岳へと向かいました。まるで、何かに強く惹かれるようにして至った山頂。そこには、初夏の爽やかな風とともに「伊達宗高公顕彰碑」が静かに佇んでいました。
道中、青々と広がる水田から吹き上げる風を浴び、蔵王エコーラインの緑濃い回廊をすり抜けていく大気には、水無月ならではの独特の香りと、しっとりとした柔らかさがありました。自然の息吹を全身に感じながら、改めて宗高公の歴史に想いを馳せました。
伊達政宗公の七男であり、村田城主であった宗高公は、わずか17歳という若さで、激しく噴火する刈田岳の火口付近に祭壇を設け、藩主名代として命がけの祈祷を捧げた名将です。その真心が天に通じたのか噴火は終息に向かいましたが、公はそれからわずか2年後、京の地で20歳という若さで急逝されました。領民たちは、あの祈祷が「自らの命と引き換えに噴火を鎮める命願であった」と信じ、その仁慈を今日まで語り継いできたのです。
大正時代に建てられたこの顕彰碑は、公に対する感謝を近代、そして現代へと伝える「地域の心の証」そのものです。
人間は大自然の一部であり、見えない偉大な力に生かされています。私利私欲を捨て、領民のために命を懸けた宗高公の「利他の実践」は、市政に携わる私の心に深く響きます。先人の尊い祈りと、それを守り伝える人々の温かい想いに改めて感謝し、この豊かな地域を守る決意を新たにした水無月の登山となりました。
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