2026/5/16
私の自宅デスクには、ずいぶん前に買い求めたトマス・ジェファーソンの小さな胸像が今も置かれています。専門家でも研究者でもない私が地方政治を志したころ、関連書籍をいくらか読み、市民の意思を基盤とする民主主義、そして権力への不信と自由の尊重を柱とする「ジェファソニアン・デモクラシー」に触れ、強い関心を抱きました。そこには多くの矛盾が内包されていることも指摘されていますが、なおうなずける部分は少なくありません。そのエッセンスを政治姿勢にどう活かせるか――熟しない思いを巡らせた日々を思い出します。それはまた、「中央に権力を集めすぎるべきではない」という地方分権の考え方とも重なっていました。
一方で今、「トランピアン・デモクラシー」と呼ばれる潮流が勢いを持っています。ドナルド・トランプ氏とその支持者による既存政治への挑戦を指すこの言葉には、感情に直接訴える手法、既得権や現行制度への強い不信、さらには反体制的な色合いが含まれます。私の感覚とは距離がありますが、「権力への不信」という点においては、ジェファーソンの思想と全く無縁とも言い切れません。
ただし私には、それが「行き過ぎた不信」として映ります。その結果、社会の分断や格差をむしろ助長し、SNSを通じて感情的な対立を増幅させ、既存政治をただ打ち毀そうとする衝動を強めてしまっているのではないでしょうか。私は、即時的な意思表明に偏るのではなく、チェック・アンド・バランスを前提とした、熟議と手続きを重んじる民主主義の価値を、いま一度見直すべきだと考えています。市民の本音を丁寧に反映し、制度を建設的に組み立て直していく――。時間を要するとしても、その志向の具体像の一つとして、「特別自治市制度の創設」を挙げることもできるでしょう。
もっとも、わが国においても近年の国政選挙等を見る限り、トランプ的な主張や手法は徐々に存在感を増しています。河村前名古屋市長のこれまでの動きも、トランプ現象に先立って、類似する政治手法の萌芽が国内にも見られた、と捉えることができるかもしれません。
個人の自由や多様性が尊重される社会へと深化する現代は、同時にさまざまな変化による不安がつきまとう時代でもあります。そうした中、シンプルで分かりやすい言葉や即断即決の政治が支持を集めやすくなり、「手間と時間を要する民主主義」にもどかしさを感じる声も生まれます。しかし、その分かりやすさに隠れ、民主主義を装いながら、数の勢いで知らぬ間に強権的な力が台頭することがあるとしたらどうでしょう。私たちは、民主主義のしくみと、その内に潜む危うさの双方を十分に理解し、用心しなければならないと思います。
短兵急には答えが見いだせない複雑な課題があふれる人間の社会にあって、政治がめざすべきは「自由と安定の両立」にほかなりません。短い言葉で割り切るのではなく、対話を重ね考えること。その価値を手放さないために、この春から私は、あえてブログという形で言葉を紡いでいます。今回でちょうど20本目になりますが、いわばワンフレーズ政治への小さなアンチテーゼです。
つい先ごろも大国間の首脳会談が行われましたが、今の米国、さらには世界の動きを冷静に見据えながら、何がより良い選択なのか――。その問いを一人ひとりが自らの問題として、拙速に流されることなく、じっくり考えていくことが求められているのではないでしょうか。
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ハットリ マサヤ/57歳/男
ホーム>政党・政治家>はっとり 将也 (ハットリ マサヤ)>「疑う自由」と「毀す衝動」の“あいだ”