平野駅や喜連瓜破駅、出戸駅といった区内の拠点駅周辺を歩いていると、
歩道の隅を埋め尽くす自転車の列に、思わず歩みを止めてしまう場面が少なくありません。
こうした放置自転車は、単に景観を損なうだけでなく、
車椅子を利用される方やベビーカーを押す保護者、
そして視覚に障がいのある方々にとっての重大な「通行の障壁」となっています。
私はこれを、市民の道徳心だけに委ねるべき問題ではなく、
都市の設計図が市民の「動線」という現実の動きに合致していない、構造的な不具合であると捉えています。
大阪市では現在、安全で安心なみちづくりの一環として、
施設ごとの特性に応じた「自転車駐車場維持管理計画」を策定し、
長寿命化を基本とした計画的な維持管理を進めています。
しかし、現場を知る実務家の目で見れば、行政が用意したハコ(駐輪場)がどれほど立派であっても、
それが駅への入り口から遠すぎたり、使い勝手が悪かったりすれば、市民は「つい便利だから」と路上を選んでしまいます。
大切なのは、排除するための監視を強めること以上に、
なぜそこに放置が発生するのかという現場の動線を分析し、
利用者が自然と中へ入りたくなるような利便性の高い配置を再設計することです。
大阪市の中心部、うめきた地区などのエリアマネジメントの事例を点検すると、興味深い実務が見えてきます。
そこでは、地域が分担金を出し合い、自治体に代わって「高質な維持管理」を自ら担っており、
その業務内容には清掃や巡回とともに、徹底した放置自転車対策が含まれています。
民間の柔軟な発想と機動力を活かした運営は、行政サービスに準ずる高い公共性を維持しながら、
エリア全体の資産価値を高めることに成功しています。
こうした「官民連携による一体的な管理」という手法は、
平野区の駅周辺においても、地域の商店街や事業者と協力しながら、
よりきめ細かなサービスを実現するための有効な選択肢となります。
一方で、管理の現場における「プロセスの欠陥」についても、厳しく検品しなければなりません。
大阪市では、平成22年から令和6年にかけて、市が自転車放置禁止区域外で不適正に撤去を行ったケースがあり、
現在、その損害賠償の申請を受け付けているという事実があります。
良かれと思って行った執行であっても、ルールに基づかない強権的な手法は、
市民の信頼を損なうだけでなく、余計な賠償費用という新たな不利益を街に招くことになります。
私は、特定の党派の論理でこうした不祥事を追認したり、逆に闇雲に批判したりするのではなく、
なぜその判断ミスが起きたのかという原因を現場の工程レベルで特定し、
再発防止のための厳格な運用マニュアルの構築を迫ります。
議員の時間は、現場の管理員の方々の苦労を聞き、
分厚い決算書の中に隠れた非効率なコストを洗い出す実務に充てるべきです。
私は、企業献金を一切受け取らないしがらみのない立場だからこそ、
おかしいことはおかしいとはっきり指摘し、10年後、20年後も持続可能な、
納得感のある予算執行を求めていくことができます。
こうした駐輪場運営の裏側にある数字や議論を市民の皆さんに公開していくことも私の大切な責務です。
自分たちが支払っている料金や税金が、どのような計算に基づき、どのように「街の快適さ」という製品に変わっているのか。
そのプロセスを可視化することで、政治を一部の人間だけの「社外秘」から、
市民一人ひとりが参加できる開かれた仕組みへと変えていきます。
「あそこの駅前は、いつもスッキリしていて本当に歩きやすい」
そんな何気ない日常の喜びを、派手なスローガンではなく、
緻密な実務の積み重ねによって平野区のスタンダードにしていきたい。
100年後のこの街に住む人々が、私たちの選んだ「合理的な街の設計」を誇りに思えるよう、
私は作業着の袖をまくり、現場の真実と向き合い続けます。
言葉よりも確かな一歩を、皆さんと共にここ平野区から刻んでいけることを、私は確信しています。