2026/6/24
「公人なんだから、批判されるのは当たり前でしょ」
その通りです。私は政治家として、政策への批判、判断への異論、厳しい評価——そのすべてを受け止める覚悟で、この仕事をしています。批判は民主主義の栄養です。耳の痛い言葉ほど、真剣に読みます。
でも、はっきり言わせてください。
批判と、デマや誹謗中傷は、まったく別のものです。
事実無根の噂を流すこと。人格や家族を攻撃すること。「死ね」「消えろ」という言葉を投げつけること。これらは「批判」ではありません。ただの攻撃であり、ハラスメントです。
私は決めています。
ネット上のデマや誹謗中傷には、法的措置を含め、毅然と対応します。
泣き寝入りもしません。曖昧に流しもしません。今日は、なぜ私がこの方針を公言するのか、その理由と背景にある「ネットと政治と人権」の構造について、お話ししたいと思います。
この記事は、「私は政治資金パーティーを開きません」「私はSNS広告を使いません」に続く、「清潔な政治」シリーズの第3弾です。第1弾はお金の入口、第2弾はお金の出口、そして今回は「言葉の環境」の話。クリーンな政治は、クリーンな言論空間なしには成り立たない——それが今回のテーマです。
最初に、現場のリアルをお伝えします。
議員という仕事をしていると、ネット上の攻撃は日常的に存在します。SNSのリプライ、匿名掲示板、メール。政策への賛否を超えた、人格そのものへの攻撃。事実と異なる内容が、さも真実であるかのように書き込まれ、拡散されていく。
私自身、SNSでの発信を続ける中で、心ない言葉を受けたことは一度や二度ではありません。そして周囲を見渡せば、もっと深刻な被害に遭っている同僚もいます。
特に深刻だと感じるのは、次の3つです。
1つ目は、デマの拡散スピードです。 事実無根の情報でも、刺激的であればあるほど速く広がります。訂正情報は、デマの何分の一の人にしか届きません。「火のないところに煙は立たない」という言葉が、デマを信じる側の免罪符として機能してしまう。
2つ目は、家族やスタッフへの飛び火です。 本人への批判ならまだしも、攻撃は家族、事務所スタッフ、支援者にまで及ぶことがあります。政治家本人は覚悟の上でも、周囲の人々には何の責任もありません。
3つ目は、「政治の担い手」への影響です。 誹謗中傷の横行は、「政治家になりたい」という人を確実に減らしています。特に女性議員や若手候補者への攻撃は深刻で、地方議会のなり手不足の一因になっているという指摘もあります。攻撃に強い人しか政治家になれない社会は、多様な声が届かない社会です。
つまり、ネット上の誹謗中傷は、私個人の問題ではなく、民主主義のインフラを蝕む問題なのです。
この問題が最も先鋭化するのが、選挙です。
近年の選挙では、SNS上の偽情報や誹謗中傷が選挙結果そのものに影響を与えかねないという懸念が、現実のものになりつつあります。候補者に関する事実無根の情報が動画やまとめ投稿の形で拡散され、訂正が追いつかないまま投票日を迎える——そんな事例が、国政でも地方でも報告されるようになりました。
今年1月から2月にかけて行われた衆議院選挙でも、選挙期間中のSNS上の動画や情報のあり方が大きな議論になりました。2025年5月施行の改正公職選挙法ではポスターの品位保持規定が設けられましたが、SNS上の偽情報対策については「必要な措置を講じる」と付則に記されるにとどまり、制度整備は道半ばです。
考えてみてください。選挙は、民主主義における最も重要な意思決定の瞬間です。その判断材料がデマで汚染されるということは、有権者の皆さんが「騙されたまま一票を投じさせられる」ということです。被害者は候補者だけではありません。正確な情報に基づいて選ぶ権利を奪われた、有権者一人一人なのです。
だからこそ、デマへの毅然とした対応は、選挙の公正を守る行為でもあると、私は位置づけています。
「被害に遭ってから対応すればいいのに、なぜわざわざ宣言するのか」と思われるかもしれません。
理由は2つあります。
1つ目は、抑止力です。 「この議員はデマを流しても泣き寝入りする」と思われている状態と、「この議員は法的措置を含めて対応すると公言している」状態では、攻撃のハードルがまったく違います。宣言そのものが、最初の防御線になるのです。
2つ目は、自分を縛るためです。 実は、こちらのほうが本質です。後ほど有料パートで詳しく書きますが、「毅然と対応する」という方針は、一歩間違えば「批判を許さない政治家」への入り口にもなり得ます。だからこそ、どういう場合に対応し、どういう場合には絶対に対応しないのか、その線引きを先に公開し、自分自身を縛っておく必要があるのです。
権力を持つ側が「中傷と戦う」と言うとき、最も警戒すべきは、実は自分自身の権力性である——。この自覚を持って、私はこの宣言をしています。
かつての政治の世界には、「中傷は無視するのが大人の対応」という暗黙の了解がありました。反応すれば炎上する、騒げば相手の思うつぼだ、と。
私は、この「我慢の文化」こそが、状況を悪化させてきたと考えています。
理由は3つあります。
第一に、沈黙はデマを事実に変えるからです。 反論しなければ、「否定しないということは本当なのだろう」と受け取る人が必ず現れます。デマは放置された時間に比例して、「みんなが言っている話」へと固定化していきます。
第二に、無対応は次の加害を呼ぶからです。 「政治家は何を書いても訴えてこない」という認識が広がれば、攻撃のハードルはどんどん下がります。毅然とした対応は、自分を守るだけでなく、「やってはいけないことには代償がある」という当たり前のルールを言論空間に取り戻す行為です。
第三に、我慢の姿を見せることは、市民の被害者にも我慢を強いるからです。 ネットの誹謗中傷に苦しんでいるのは、政治家だけではありません。一般の方、学生、お店を営む方。もし政治家が「泣き寝入りが大人の対応」という姿を見せ続ければ、社会全体の「被害に遭っても我慢すべき」という空気を強化してしまいます。公人こそが、正当な手続きで戦う姿を見せるべきだと私は思うのです。
「でも、ネットの中傷なんて、結局どうにもならないんでしょう?」
そう思っている方が多いかもしれません。実は、この数年で法制度は大きく進化しています。
2022年、侮辱罪が厳罰化されました。 拘留・科料のみだった法定刑に懲役刑等が加わり、ネット上の侮辱行為への抑止力が強化されました
2022年、発信者情報開示の新しい裁判手続(開示命令)が創設されました。 従来は複数回の裁判手続きが必要だった匿名発信者の特定が、一連の手続きで完結できるようになりました
2025年4月、「情報流通プラットフォーム対処法」が施行されました。 旧プロバイダ責任制限法が改正・改称され、X、Google、Meta、LINEヤフー、TikTokといった大規模プラットフォーム事業者に、削除申請への迅速な対応と運用状況の透明化が義務付けられました
つまり、「匿名なら何を書いても大丈夫」という時代は、制度的にも終わりつつあるのです。匿名の壁は、正当な手続きを踏めば、開けられる壁になりました。
実際、ネット上の誹謗中傷をめぐる損害賠償や刑事処分の事例は、年々積み重なっています。「ネットだから」「匿名だから」という言い訳は、法廷では通用しません。画面の向こうにいるのは生身の人間であり、キーボードで打った言葉には、現実の法的責任が伴う——この当たり前のことが、ようやく制度として形になってきました。
私が「法的措置を含め毅然と対応する」と公言できるのは、感情論ではなく、この制度進化という裏付けがあるからです。
政治には、批判が必要です。
異なる意見があり、厳しい指摘があり、それを受け止めながら議論を重ねることが、民主主義の大切な土台です。
私自身も、府政に関わる者として、市民の皆さまからのご意見やご批判には誠実に向き合ってまいります。
しかし、批判と攻撃は違います。
事実に基づく指摘や政策への反論は、政治にとって必要なものです。一方で、事実に基づかないデマ、人格を傷つける誹謗中傷、家族や関係者を巻き込む嫌がらせ、執拗なハラスメントは、健全な対話を壊してしまいます。
私は、攻撃やハラスメントを許容しません。
特にネット上では、匿名性や拡散力によって、事実と異なる情報が一気に広がることがあります。軽い気持ちで書かれた一言でも、人の尊厳を傷つけ、地域の対話を萎縮させ、政治参加そのものを遠ざけてしまうことがあります。
だからこそ、ネット上のデマや誹謗中傷には、法的措置を含めて毅然と対応します。
これは、批判を封じるためではありません。
むしろ、健全な批判や対話を守るためです。
政治に必要なのは、恐怖ではなく対話です。
声を上げた人が攻撃されないこと。意見を述べた人が人格否定されないこと。違う考えを持つ人同士が、少なくとも事実に基づいて議論できること。
その土台を守るために、私はこの方針を明確にしておきたいと思います。
政治家である以上、批判を受けることは当然あります。
政策への反対。
発言への疑問。
議会活動への厳しい評価。
地域課題への対応が十分ではないという指摘。
こうした声は、時に耳が痛いものです。しかし、政治家はそれを避けてはいけません。市民の皆さまからの批判や疑問の中にこそ、行政や議会が見落としている課題が含まれていることがあるからです。
私自身、すべてのご意見にすぐ答えを出せるわけではありません。制度上できること、できないこともあります。府政だけで完結しない課題もあります。それでも、声を受け止め、調べ、必要に応じて行政につなぎ、議会で問うべきことは問う。その姿勢は持ち続けたいと考えています。
一方で、絶対に越えてはならない線があります。
事実に基づかない情報を広めること。
人格を否定する言葉を投げつけること。
家族や関係者を巻き込んで攻撃すること。
執拗に威圧し、相手を黙らせようとすること。
政治的意見の違いを理由に、人としての尊厳を傷つけること。
これは、批判ではありません。
攻撃であり、ハラスメントです。
ネット上では、ときに言葉の責任が軽く扱われます。画面の向こうに一人の人間がいることが忘れられ、強い言葉、嘲笑、決めつけ、根拠のない情報が拡散されていきます。
その結果、何が起きるのか。
まず、本人や周囲の人が深く傷つきます。
次に、まじめに意見を言おうとする人が萎縮します。
さらに、地域の中で必要な議論まで感情的な対立に飲み込まれてしまいます。
これは、政治家個人だけの問題ではありません。地域の民主主義に関わる問題です。
市民の皆さまが安心して意見を言える環境を守ること。
政治的な立場が違っても、事実に基づいて話し合える空気をつくること。
子どもたちや若い世代が、「政治に関わると攻撃される」と感じない社会にすること。
私は、そのためにも、デマや誹謗中傷には毅然と対応する必要があると考えています。
法的措置という言葉は、重く聞こえるかもしれません。
しかし、これは脅しではありません。
事実に基づく批判や正当な意見表明を封じるためのものではなく、明らかなデマ、悪質な誹謗中傷、継続的なハラスメントに対して、自分自身と周囲の人、そして健全な対話の場を守るための最後の手段です。
政治家は、批判に開かれていなければなりません。
同時に、攻撃に無防備であることを求められる存在でもありません。
私は、市民の皆さまからのご意見を歓迎します。厳しいご指摘も、真摯に受け止めます。政策についての反論も、必要な議論として向き合います。
しかし、デマや誹謗中傷、ハラスメントは許容しません。
この線引きを明確にすることは、私自身を守るためだけではありません。私に意見を寄せてくださる方、支援してくださる方、地域で一緒に活動してくださる方、そして政治に関心を持ち始めた方が、安心して声を上げられる環境を守るためでもあります。
私が目指したいのは、意見の違いがあっても対話できる地域です。
賛成だけを求めているわけではありません。
耳の痛い声を避けたいわけでもありません。
むしろ、異なる意見があるからこそ、政治は鍛えられるのだと思います。
ただし、その議論は、事実に基づき、相手の尊厳を傷つけない形で行われるべきです。
河内長野から大阪府政へ声を届ける。そのためには、一人でも多くの市民の皆さまが、安心して政治に関わることができる環境が必要です。
私はこれからも、批判には誠実に向き合います。
そして、攻撃やハラスメントには毅然と対応します。
政治に必要なのは、相手を黙らせる力ではありません。
違いを抱えながらも、地域の未来のために話し合う力です。
その力を、皆さまと一緒に育てていきたいと思います。
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