2026/6/20
制度を変える政治の先に、何が来るのか
大阪府議会定数削減と「民意」の行方
大阪府議会の議員定数を、現在の79から73へと6削減する条例案が可決された。
このニュースを、単に「議員が減る」「議会がスリムになる」という話として受け止めてよいのだろうか。
議員定数の見直しそのものを否定するつもりはない。人口減少、地域間の人口移動、一票の格差、選挙区ごとの逆転現象。これらは、議会制度において避けて通ることのできない課題である。
しかし、今回の定数削減には、もう一つの大きな意味がある。
それは、議員定数を減らすだけでなく、1人区をさらに広げる制度変更であるという点だ。
1人区とは、ひとつの選挙区から1人しか当選しない制度である。勝者は一人。二番目、三番目に多く票を得た候補者であっても、議席には届かない。
つまり、1人区が増えるということは、選挙がより「勝者総取り」に近づくということである。
今回の制度設計の先に何が来るのか。
来春の府議選の行方を占うとは、どの政党が何議席を取るかという数字を予測することではない。この制度変更が何を意味し、誰に何を語りかけ、大阪政治という生き物がどこへ向かおうとしているのかを読み解くことだ。
今回の定数削減と1人区拡大は、現行権力が制度を作り変えるという行為である。
他会派が「民意を切る暴挙」と批判するのは、単なる感情論ではない。構造を正確に突いている。
なぜなら、1人区が増えれば、多数派に有利な選挙構造がより強まるからだ。
多くの票を集めた勢力が議席を得る。それ自体は当然である。しかし、問題は、議席に変換されない票、いわゆる「死票」が増えることである。
多様な民意が存在していても、それが議席として議会に届かない。地域の中に複数の声があっても、制度上は一つの勝者だけが代表となる。
その結果、議会はより単色に近づいていく。
そして、その単色化は、政治の安定を生む一方で、議論の幅を狭める危険を持つ。
議会とは、本来、多様な民意を持ち寄る場所である。
行政を監視し、政策を検証し、地域の声を府政に届ける場所である。多数派の意思を追認するだけなら、議会の存在意義は弱まってしまう。
だからこそ、今回の定数削減は「身を切る改革」という言葉だけで語ってはならない。
本当に問われるべきは、議員の数を減らすことではない。
府民の声を、どのように議会へ届けるのか。
少数意見を、どのように制度の中に残すのか。
勝った側だけでなく、届かなかった声を、どう政治が受け止めるのか。
そこにこそ、議会改革の本質がある。
維新政治は、これまで大阪の政治風土を大きく変えてきた。
既得権益を壊す。
行政の無駄を削る。
古い政治を終わらせる。
大阪を前へ進める。
そのメッセージは、多くの府民、市民の心をつかんだ。閉塞感のある時代において、「変えてくれる政治」への期待は確かに大きかった。
その功績を、私は否定しない。
大阪の政治に緊張感を生み、行政運営にスピードを持ち込み、政治への関心を高めた面は、冷静に評価すべきである。
しかし、政治は「壊すこと」だけでは完結しない。
壊した後に、何を作るのか。
削った後に、何を残すのか。
制度を変えた先に、どのような民主主義を築くのか。
この問いから逃げることはできない。
住民投票での二度の否決が示した通り、維新は「壊すこと」には卓越していたが、「作ること」には二度失敗した。
2015年5月、第一回の大阪都構想住民投票。
2020年11月、第二回の大阪都構想住民投票。
いずれも僅差だった。
2015年は賛成49.62%、反対50.38%。
2020年は賛成49.37%、反対50.63%。
どちらも、大阪市民の過半数が「大阪都構想」を拒否した。
この二度の否決の意味を、私たちは正確に読まなければならない。
よく言われる解釈は「制度設計への不安」だ。
大阪市という基礎自治体が消滅することへの不安。
行政サービスが低下するのではないかという懸念。
手続きが複雑で、将来像が見えにくいという疑問。
財政効果や住民サービスの説明は十分だったのかという不信。
これらが反対票を形成したという分析は、正しい。
しかし、それは表層の読みである。
より深いところで、大阪市民は「権力を一方向に集中させる制度変更」に対して、最後のところで踏みとどまったのではないか。
都構想は、二重行政の解消という大義を掲げた。だが、その先に見えていたのは、意思決定の集中でもあった。
大阪府と大阪市の関係を整理する。
広域行政を一元化する。
成長戦略を加速させる。
その説明には一定の合理性があった。
しかし、有権者は、改革の必要性を認めながらも、すべてを一つの政治勢力、一つの制度設計、一つの方向に委ねることには賛成しなかった。
ここに、大阪の民意の成熟があったのではないか。
変化を拒んだのではない。
改革を否定したのでもない。
ただし、権力が一方向に流れすぎることには、慎重であった。
今回の府議会定数削減と1人区拡大も、同じ文脈で見る必要がある。
「議員を減らす」という言葉は分かりやすい。
「身を切る改革」という言葉は響きがよい。
「スリムな議会」という表現は、府民感覚にも届きやすい。
しかし、分かりやすい言葉ほど、政治は慎重に扱わなければならない。
なぜなら、分かりやすさの陰で、制度の本質が見えにくくなるからだ。
議員を減らせば、本当に議会の質は高まるのか。
1人区を増やせば、本当に府民の声は届きやすくなるのか。
少数意見が議席に変換されにくくなることは、本当に府民の利益なのか。
議会改革とは、単に定数を削ることではない。
府民の声をより正確に反映するために、議会の機能を高めることである。行政をより厳しくチェックし、政策の質を高め、地域課題を丁寧にすくい上げることである。
そのためには、議員一人ひとりの質が問われる。
同時に、制度そのものが多様な民意を受け止める器でなければならない。
ここを見誤ってはならない。
多数派が選挙に強いことと、多数派に有利な制度を作ることは、まったく別の問題である。
選挙で勝つことは、民主主義の結果である。
しかし、勝っている側が、自らに有利な制度を設計するならば、その行為はより厳しく検証されなければならない。
制度は、いまの多数派のためにあるのではない。
制度は、未来の府民のためにある。
制度は、勝者だけでなく敗者の声も守るためにある。
制度は、権力を円滑に動かすためだけでなく、権力を抑制するためにもある。
今回の定数削減が府民に問いかけているのは、まさにこの点である。
大阪政治は、これからどこへ向かうのか。
強いリーダーシップによるスピード感を、これからも求めるのか。
それとも、多様な声を議会に残しながら、熟議によって前に進む政治を選ぶのか。
どちらか一方だけが正解ではない。
大阪にはスピードも必要である。
改革も必要である。
行政の無駄をなくす努力も必要である。
しかし同時に、民主主義には時間が必要である。
異論が必要である。
少数意見を残す余白が必要である。
この余白を失ったとき、政治は強く見えても、実はもろくなる。
反対意見が見えなくなった社会は、一見まとまっているように見える。しかし、それは本当の合意ではない。制度によって声が届きにくくなっているだけかもしれない。
大阪の政治が本当に成熟するためには、「勝つ政治」から「受け止める政治」へ進まなければならない。
多数を取ることだけではなく、少数の声をどう扱うか。
制度を変えることだけではなく、その制度が誰の声を小さくするのか。
改革を叫ぶことだけではなく、改革の後に何を作るのか。
そこが問われている。
私は、議員定数の見直しそのものに反対するものではない。
しかし、定数削減を「改革」という一言で片づけることには強い違和感がある。
議会は、府民の声を削る場所であってはならない。
議会は、権力の都合に合わせて小さくされる場所であってはならない。
議会は、多様な民意がぶつかり合い、磨かれ、政策へと昇華される場所でなければならない。
来春の府議選は、単なる選挙ではない。
この制度変更の意味を、府民がどう受け止めるのか。
大阪政治のこれまでとこれからを、どう評価するのか。
「改革」の名のもとに進む制度変更に、どのような民意を示すのか。
そのことが問われる選挙になる。
大阪政治という生き物は、いま大きな分岐点に立っている。
壊す政治から、作る政治へ。
勝つ政治から、受け止める政治へ。
制度を握る政治から、民意を広げる政治へ。
その転換ができるのか。
今回の府議会定数削減は、単なる議席数の問題ではない。
大阪の民主主義が、これからどれだけ多様な声を抱えられるのか。
その器の大きさが、いま問われている。
大阪府議の定数6減案を可決、73に 16年間で3割削減 来春の選挙に適用 - 日本経済新聞大阪府議会は16日、議員定数を現行の79から73に削減する条例改正案を地域政党・大阪維新の会の賛成多数で可決した。維新は2www.nikkei.com
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