2026/7/15
既存の武蔵野公会堂を解体し、芝生広場と暫定施設を整備する案。将来の本設施設を見据えた暫定活用のイメージとして、市から示された参考資料。
令和8年7月9日、武蔵野市議会の全員協議会で武蔵野公会堂の今後のあり方について説明が行われた。
全員協議会は議決を行う場ではない。しかし、市の重要な政策について議員が説明を受け、意見を交わす場であり、今後の方向性を考える上で極めて重要な場でもある。
武蔵野公会堂は、資材価格の高騰や工事費の上昇などにより、当初予定されていた改修工事の入札が中止となった。その結果、市からは改めて10の選択肢が示され、それぞれのメリット・デメリットについて説明が行われた。
私はその中でも、「プラン⑩ 既存施設を解体し、芝生広場と暫定施設を整備する案」を軸に質疑を行った。
解体という言葉だけを聞けば、もったいないと思う人もいるだろう。しかし私は、この案こそが15年後の吉祥寺に最も大きな可能性を残す選択肢だと考えている。
今回示された案では、既存施設を改修する場合、最低限でも約20億円、本格的な改修では30億円を超える費用が必要になる。
もちろん、公会堂は長年市民に親しまれてきた施設であり、その価値を否定するつもりはない。
しかし、公金を投入する以上、「直せばいい」という発想だけでは判断できない。
今回の資料を見る限り、改修したとしても、その建物を使うのは築80年となる2043年頃までが前提となっている。つまり、あと15年程度しか使わない可能性が高い。
30億円をかけて改修し、その15年後には建て替えを検討する。
その時、「せっかく30億円も使ったのだから、まだ壊せない」という空気が生まれることは十分考えられる。
これは経済学でいうサンクコスト、いわゆる埋没費用の問題だ。
本来であれば未来にとって最善の判断をすべきなのに、過去に投じた費用に引きずられ、合理的な判断ができなくなる。
行政は民間以上に、この罠にはまりやすい。
だからこそ今回は、あえて暫定施設という選択を取り、15年後に本当に必要な施設をゼロベースで議論できる余地を残すべきだと考える。
未来の世代に選択肢を残すことも、今の世代の責任だ。
私がプラン⑩を支持する理由は、もう一つある。
それは文化のあり方そのものを見直すきっかけになるからだ。
これまで公会堂は、壁に囲まれたホールの中で文化活動を行う施設だった。
もちろん、その役割は重要だった。
しかし、文化は建物の中だけで生まれるものではない。
全国を見ると、公園や広場を活用し、人が自然に集まり、その中から新しい文化が育つ事例が増えている。
代表例が豊島区の南池袋公園だ。
芝生の上で人がくつろぎ、イベントが開かれ、カフェがあり、子どもから高齢者まで自然と集まる。
誰かが「文化施設へ行く」のではなく、人が集まる場所そのものが文化を生み出している。
吉祥寺にも、その可能性は十分ある。
井の頭恩賜公園があり、公会堂周辺にも多くの人が行き交う。
芝生広場が整備されれば、小さなライブや演劇、マルシェ、学生の発表、アート展示など、これまでとは違う文化活動が自然発生的に生まれる可能性がある。
吉祥寺らしさとは何か。
私は、「自由さ」だと思っている。
決められたプログラムを観に行く文化だけではなく、市民自身が参加し、表現し、新しいものを生み出していく文化である。
暫定施設だからこそ、その実験ができる。
プラン⑩には大きな課題もある。
完成まで約54か月、4年以上の休館期間が生じることだ。
この点について私は、建物の完成を待つ必要はないと質問した。
芝生広場だけでも先行して整備し、市民に開放できないのか。
建物がなくても、人は集まれる。
イベントもできる。
キッチンカーも呼べる。
音楽もアートも青空の下で始められる。
完成までの4年間を「何もできない期間」にする必要はない。
むしろ、市民が先に使い始めることで、その場所の文化が育っていく。
その経験を積み重ねた上で本設を考えれば、机上の議論だけでは見えなかった課題も見えてくる。
私は、この54か月を「空白期間」ではなく、「文化を醸成する期間」に変えるべきだと考えている。
もちろん、暫定施設だから最低限でいいとは考えていない。
市民が創作活動を行う以上、舞台や音響など必要な機能はしっかり確保すべきだ。
「仮設だから仕方ない」で終わらせれば、市民に使われない施設になる。
一方で、本設と同じものを造るのであれば、暫定施設にする意味もない。
必要な機能を備えながら、15年後の本設につながる実験ができる施設。
その絶妙なバランスが重要になる。
私は執行部に対し、この施設を単なる仮設ではなく、「未来の本設を考えるためのプロトタイプ」として位置付けるべきではないかと問い掛けた。
武蔵野公会堂の議論は、「古くなったから直す」という話では終わらない。
15年後の吉祥寺をどう描くのか。
その15年間をどう過ごすのか。
そして、その先に何を残すのか。
そこが本質だ。
行政はどうしても目の前の課題を解決しようとする。しかし、今だからこそ必要なのは、15年後、30年後を見据えた視点である。
30億円を使うなら、そのお金が未来への投資になっていなければならない。
私は、公金を使う以上、将来に禍根を残す選択ではなく、未来の選択肢を広げる判断をすべきだと考えている。
そして吉祥寺だからこそできる、新しい文化の形があると信じている。
15年後、「あの時、思い切った判断をして良かった」と振り返ることのできる選択をしたい。
The post 武蔵野公会堂の未来をどう考えるか――15年後を見据えて first appeared on 武蔵野市議会議員 藪原太郎 公式サイト|市政報告・地域活動・武蔵野グルメ発信.
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