2026/6/10
市長選挙・市議会議員選挙のあとだから見えてきたこと
「久喜市の端っこだから仕方ないよ」
「久喜や鷲宮、栗橋ばかり良くなっている」
「この地域は忘れられている」
こうした声は、実は選挙前から普通に聞いていました。
私はこれまで、それを「隣の芝は青い」という感覚だと思っていました。
合併した自治体では、自分の住む地域より他の地域の方が良く見えることがあります。それぞれの地域には特性があり、それに応じたまちづくりの計画も進められています。この地域にも将来に向けた計画があり、私自身も議員時代に推進してきたことがありました。
だから、「忘れられている」という言葉を聞いても、正直なところ、少し違うのではないかと思っていたのです。
しかし、今回の市長選挙・市議会議員選挙のあとに地域を歩いていると、これまで聞いていた言葉の意味が違って聞こえるようになりました。
「選挙には行ったけれど、何も変わらない」
「何度も要望したけれども、聞いてもらえなかった」
「どうせ言っても無駄だから、あきらめている」
そこには怒りというよりも、長年積み重なった無力感のようなものを感じました。
思い返せば、市議会議員時代に今でも忘れられない出来事があります。
ある公園について、市民の方から「草が伸び放題で子どもが遊べない」と相談を受けました。
現地を確認すると、雑草は私の身長184センチを超えるほど伸びていました。
小さな子どもが入れば姿が見えなくなるほどです。
そこで議会で質問したところ、市からは「適切に管理されている」との答弁がありました。
私は再度、「私の身長より高い草が生えていますが、それでも適切に管理されているのですか」と質問しました。
しかし返ってきた答えは、やはり「適切に管理されている」というものでした。
もちろん行政には管理基準や予算、作業計画があります。議会答弁には組織としての整合性も求められます。一度答弁した内容を簡単に変えられない事情も理解していました。
そのため、それ以上の追及はやめました。
しかし、市民の立場で考えればどうでしょうか。
目の前には184センチを超える雑草が生えている。
しかも子どもたちが遊ぶ公園です。
大人から見ても草むらです。子どもにとってはホラー映画の世界かもしれません。
それでも「適切に管理されている」と説明されれば、「自分たちの見ている現実と行政の見ている現実は違うのではないか」と感じるのも無理はありません。
私は今回の選挙を通じて、こうした小さな違和感の積み重ねが、政治や行政への不信感につながっているのではないかと感じました。
冗談交じりに、
「平沢さんが県議選に落ちたからだよ」
と言われたこともあります。
思わず苦笑いしてしまいましたが、その言葉に込められた地域の期待や悔しさも感じました。
それでも驚いたことがあります。
「あきらめている」と言いながら、多くの方が要望を話してくださるのです。
道路のこと。
水路のこと。
公園のこと。
地域のインフラのこと。
本当にあきらめているのであれば、何も言わなくなるはずです。
それでも声を届けてくださるのは、「この地域を見てほしい」「まだ期待している」という気持ちが残っているからだと思います。
私はその声を、単なる要望ではなく地域からのメッセージとして受け止めています。
失われた信頼は一朝一夕には戻りません。
だからこそ、一つひとつの声に耳を傾け、できることを着実に積み重ねていく。
市民と行政、そして政治との間にある距離を少しでも縮めていく。
その積み重ねこそが、信頼を取り戻す唯一の道なのだと思っています。
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