2023/9/1
=歴代内閣総理大臣16人より直接ご縁をいただいた『特別写真展』=
①
勲一等旭日大綬章
衆議院議員・農水大臣・防衛庁長官・国土庁長官(国務大臣)十二期
内閣総理大臣臨時代理
田沢吉郎
〈今博、秘書として十八年間奉職す〉

②
1人目
第99代 菅義偉 首相

昭和50年代時
小此木彦三郎衆議院議員(自民党)秘書として今博もまた田沢吉郎衆議院議員(自民党)の秘書として同期の黒子時代を過ごす間柄
③
2人目
第95代 野田佳彦 首相

千葉県議を経て民主党衆議院議員へ平成23年9月より民主党政権下3人目の内閣総理大臣へ
青森県内へ国政選挙応援の為来青した時、対応した今県議
④
3人目
第94代 菅直人 首相

田沢吉郎氏に当時の民主党政治への政権奪還への可能性を聞かれ選挙区事情もあり自民党秘書から民主党へ入党したキッカケとなった菅直人

⑤
4人目
第93代 鳩山由紀夫 首相

現在一番親しくお付き合いご指導をいただいている政治家鳩山由紀夫氏
県議当選以前より十和田市、初代民主党県連代表 戸来勉氏に紹介されご縁をいただいた
月一度は鳩山氏が会長である自然エネルギー研究会の会員として現・元職国会議員団の中ただ一人地方議員として参加させていただいている
(返り咲きの県議選後、東京で当選祝いをしてもらった)
⑥
5人目
第87・88・89第 小泉純一郎 首相

2017年11月青森市内にて「原発ゼロ実現を」小泉元首相の講演会にてお会いし、それ以来、原発ゼロ社会への実現へと交流を深めている
田沢吉郎氏には大変世話になったとの思い出話にも花を咲かせた
小沢一郎氏とも気が合う様である
⑦
6人目
第84代 小渕恵三 首相

竹下登内閣で小渕恵三氏には内閣官房長官職、同時に田沢吉郎氏は防衛庁長官であった
同じ閣僚として内閣を支える重責を担う
昭和64年の新年を迎えた1月7日直後、昭和天皇の崩御
田沢防衛大臣は崩御の儀の担当として幹事役を担う
小渕官房長官は新しい年号「平成」を国民に示した
大臣秘書官として今博一番忙しい時であった
⑧
7人目
第83代 橋本龍太郎 首相

橋本氏が運輸大臣時、青森県知事 北村正哉(当時)と共に地元市町村長を案内しての衆議院議員田沢吉郎氏陳情のやりとり
「東北新幹線建設促進のお願い」
その時予算獲得のバトル議論は有名な話である
橋本大臣の新幹線の金は出せない発言に田沢吉郎議員顔を真っ赤に手を上げんばかりの激怒、いまにもとっくみあい?
おかげでしっかり予算を獲得!
(秘書としてハラハラ 今博でした!)
⑨
8人目
第81代 村山富市 首相

明治大学の先輩であり、三木武夫第66代内閣総理大臣に次いで2人目の母校出身である
まだ政治家への道半ばの頃、明大先輩ということだけで国会へ面会のお願いをする
村山先輩から快く迎えられ政治の話、労働組合、日本社会党など多岐にわたりご指導をいただいた
さらに当時参議院議長 土井たか子氏を紹介したいと言い参議院議長公邸へ案内
村山総理(後日就任)、土井たか子参議院議長自らご案内の議長公邸庭園を3人で歩いた思い出は一生心に残りました
村山総理の真っ白いまゆげと土井議長のやわらない手は忘れないひとときでした
⑩
9人目
第78代 宮澤喜一 首相

宮澤喜一と言えば宏池会という自民党という国会議員団の派閥のひとつであり、よく〈御公家さん集団〉とも言われていた
池田勇人総理からはじまり現在の岸田総理もしばらくぶりの宏池会からの総理誕生である
我が田沢吉郎も池田勇人総理に声をかけられ時来最後は宏池会会長代理まで登りつめた
宮澤総理とはよく宏池会の事務所が赤坂にあったので秘書時代よく事務所にてお見かけをした
とても柔和な方で英字新聞を淡々と呼んでいた風景が想い出される
⑪
10人目
第76・77第 海部俊樹 首相


海部俊樹総理とは当時八戸出身衆議院議長までのぼりつめた当時内閣官房副長官であった大島理森氏の紹介でお会いさせていただいた
18年間の秘書時代から一人歩きをしたいという時期、さまざまな人脈を活用したい想いでお会いした
三木総理(明大卒)の派閥でもあったご縁かも
とても意気深いお話を聞かせていただいた
⑫
11人目
第75代 宇野宗佑 首相

令和3年3月3日青森県議会定例会において私は18年間お仕えした田沢吉郎氏が幻の内閣総理大臣就任のチャンスがあったことを披露しました
竹下登内閣時総理と早大で同期・当選回数も同じ防衛庁長官だった田沢吉郎氏が竹下内閣総辞職の際竹下総理から次期後継者に我が田沢氏が指名された事実でした
しかし田沢氏が受けなかった為、竹下氏は当時外務大臣だった宇野宗助氏を指名、宇野内閣が発足したのです
たった2ヵ月の短命内閣でしたがとても私にとっては残念な想い出です
⑬
12人目
第74代 竹下登 首相

昭和62年1987年11月6日、私の長男が誕生した7月4日より4ヵ月後に発足した竹下登内閣
そして63年8月24日、海上自衛隊潜水艦なだしお事故で急遽防衛庁長官に任命された田沢吉郎氏、1989年平成元年6月2日まで国の守りに徹した大臣であった
私も竹下総理より大臣秘書官として辞令をいただき、日本の安全保障防衛について改めて現場主義を貫き、国家国民の安寧を願った時代であった
⑭
13人目
第70代 鈴木善幸 首相

私自身わずか29歳の青年時に人生の巡りあわせのいたずらか衆議院議員田沢吉郎氏の第一秘書として奉職していた年、田沢氏が鈴木善幸内閣の農林水産大臣の就任が決まった、と同時に本省では課長級の大臣秘書官として鈴木総理より辞令を交付されたのが私今博です
毎日が勉強勉強の日々
新たな日本の農政を身を持って勉強させていただいた
⑮
14人目
第68代・69代 大平正芳 首相

私が昭和50年1975年3月1日衆議院議員田沢吉郎氏の秘書(書生、ぞうきんふきの仕事)をいただき、初仕事が田沢氏の付き人であった
生まれて初めて田沢氏に付いて大蔵省に出向きその時秘書として紹介された初めての議員が当時大蔵大臣大平正芳氏であった
時来赤坂の料亭にて大平大臣・田沢議員・大蔵官僚との宴席時にはいつも末席を汚し生の政治談議を聞かされた大変貴重な経験をさせていただいた
⑯
15人目
第67代 福田赳夫 首相

昭和51年12月24日、私が田沢吉郎氏の書生として働き始めた昭和50年3月から一年あまりで初めての総選挙が行われ、トップ当選を果たした田沢吉郎氏
初めて福田内閣において国務大臣国土庁長官として入閣
私も末席ながら大臣秘書として名刺をつくらせていただいた
六本木麻布にある国土庁・第三次全国総合開発計画を策定した実績を持つ
⑰
16人目
第64・65代 田中角栄 首相

昭和47年7月7日~昭和49年12月9日
私が明治大学3年~4年生そして米国カリフォルニア大学に留学中の総理であった
学生時代には政治学を専攻しており田中角栄氏の「日本列島改造論」の著書に興味を持ち、将来の日本、地方の時代へと夢をはせたものある
その後田沢氏の秘書として国会での仕事に没頭していた頃、国会内で衆議院議員田中角栄氏と廊下ですれ違う時の彼のオーラのいろどりは輝く大仏のようであった
縁あって地元の有力者グループをご案内し目白の田中邸へお邪魔した際の角栄氏のダミ声は今でも私の心に残り、その偉大さは圧巻であった

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コン ヒロシ/75歳/男
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