2026/2/11
本日2月11日、清々しい冬晴れの中、私は「第64回 唐津市建国祭」に参列いたしました。 昭和35年から数えて64回。この長きにわたり、先人への感謝と建国の喜びを繋いでこられた実行委員会の皆様に、まずは心より深謝申し上げます。
式典は厳かな神事から始まり、古川康衆議院議員をはじめとする多くの来賓の方々から、平和への祈念と建国を祝う言葉が述べられました。会場を包む凛とした空気の中、参列者全員で唱和した「君が代」。その一音一音に、私たちが受け継いできた悠久の歴史の重みを感じずにはいられませんでした。



脇山玄海町長の祝辞が本質をついており本当に良かった(笑)
しかし、本日の式典がただの「形式」に留まらなかったのは、その後に続いた藤原雄氏による記念講演があったからです。
演題は「唐津の偉人 市丸利之助中将の願い」。
硫黄島の戦いで散った郷土の英雄が、死を目前にして米国大統領に宛てた『ルーズベルトニ與フル書』。そこに込められたインテリジェンスと、現代社会を予見したかのような鋭い洞察は、今を生きる私たち日本人に「國體とは何か」という根源的な問いを突きつけていました。
講演の中で非常に印象的だったのは、現代の政治・社会情勢と戦前の状況との酷似です。 先の衆議院選挙を経て、日本の政治はようやく「本当の真ん中(中道)」を見定めようとしています。これまでは、中道を標榜しながらもその実態は「左に45度」ほど傾いた勢力が主流であり、言論の自由を叫びながら自分たちと異なる意見を排斥する、極めて気持ち悪いような空気が社会を覆っていました。
今回の選挙で、オールドメディアは極右と言いますが、やっと【真ん中】になったのではないでしょうか?
かつてファシズムは「右」から来ると教わりました。しかし現在、民主主義を脅かしているのは、BLM(ブラック・ライブズ・マター)やANTIFAといった、暴力を伴う左翼・リベラル勢力の過激化ではないでしょうか。彼らはグローバリズムの名の下に伝統的な価値観を破壊し、社会を分断へと導いています。
歴史を振り返れば、第一次世界大戦後の1920年代、米国主導の金融・貿易網が拡大した「第2次グローバリゼーション」は、結果として経済格差を生み、30年代のブロック経済化、そして第二次世界大戦へと突き進む遠因となりました。
藤原氏は説きます。
グローバル化による混乱の時代だからこそ、私たちは日本独自の建国精神である「天業恢弘(てんぎょうかいこう)」に立ち返る必要があるのだと。
硫黄島の壕の中、50度を超える地熱に晒されながら、市丸中将は一通の手紙を綴りました。それが『ルーズベルトニ與フル書』です。便箋8枚、そして正確な英訳4枚。これは単なる軍人の恨み言ではなく、世界情勢を俯瞰し、人類の行く末を案じた、極めて高度な「魂の遺書」でした。

手紙の内容は、大きく四つの柱で構成されています。
第1節:日本がなぜ対米戦争に進まざるを得なかったかという経緯
第2節:天皇陛下の世界平和に対する真摯なお気持ち
第3節:白人至上主義・植民地主義に対する正当な批判
第4節:欧州戦線を鑑みた、連合国側の姿勢に対する鋭い指摘
特に驚かされるのは、当時の軍人の知性の高さです。市丸中将は、米国留学の経験がないにもかかわらず、「もしナチス・ドイツを倒したとして、その後、思想の全く異なるソ連のスターリンとどう協調していくつもりなのか」と、後の冷戦構造を完全に見抜いていました。
彼は開戦当時から「海軍兵力の170%を消耗しなければこの戦いは完遂できない」と語っており、日本の敗戦を冷徹なまでに見据えていました。その上で、彼は「日本が何のために戦っているのか」を後世に、そして世界に知らしめるためにペンを取ったのです。
藤原氏の講演で最も核心に触れたのが「國體(こくたい)」についての論考です。
戦後教育では「軍国主義の暴走」と一括りにされてきましたが、市丸中将や当時の日本人が守ろうとしたのは、独裁や権威主義ではありません。
日本の建国精神は、明治天皇の御製にもある「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」という、世界平和(四海一家)の願いに基づいています。
藤原氏は、西洋的な「主権・人民・領土」という三要素だけでは、日本の國體は理解できないと指摘します。

日本には、以下の五要素が一体となった独自の形があるのです。
神:皇祖天照大神(精神的・歴史的根源)
道:神の心を世界に実践する生き方
君:天業の代表者としての天皇陛下
民:その天業を支える翼賛者としての国民
國:天業を実現するための拠り所
天皇と人民が一体(君民一体)となって形成される日本において、人民が主権を勝ち取った西洋の市民革命や、階級闘争を是とするマルクス主義は、本来馴染むものではありません。この「國體」の認識が失われたことこそが、現代日本の迷走の根源であると感じました。
私たちは、硫黄島や沖縄での凄惨な戦いを「無謀な抵抗」と片付けてはなりません。 市丸中将や栗林大将率いる守備隊の、想像を絶する粘り強い戦いがあったからこそ、米軍は甚大な被害を被り、当初の「日本国の無条件降伏」という方針を「日本軍の無条件降伏」へと変更せざるを得ませんでした。

この変更があったからこそ、天皇を中心とした我が国の國體は辛うじて保持されたのです。文字通り、彼らの命を賭した戦いが、現代の「日本」という形を残してくれたのです。
しかし、戦後の日本はどうでしょうか。占領軍による教育改革、米国内に潜伏していた共産主義工作員による仕掛けによって、私たちは自らの誇りある歴史を奪われました。 市丸中将が死の間際まで憂いていた「共産主義という病魔」は、形を変えて現代社会の隅々にまで浸透しています。憲法改正の議論においても、この「國體の本質」に触れる者は殆どいません。
本当にここは小学校から学ばないといけないと思います。
市丸中将が、50度を超える地熱に焼かれる壕内で、死を目前にしながらもなお、これほどまでに理知的で、かつ情熱的な『ルーズベルトニ與フル書』をしたためることができたのはなぜか。

それは、中将の眼差しが、当時の絶望的な戦況を飛び越え、「100年後の日本民族」に向けられていたからです。
中将は、自らの命を捧げることについて「100年後の日本民族のために殉じることを切望する」という熾烈な精神を吐露されました。彼にとって硫黄島での死は、単なる敗戦の犠牲ではなく、100年後の日本人が日本人としてのアイデンティティを失わず、誇りを持って生き抜くための「礎」となるための儀式であったと言えるでしょう。
私たちが今生きているこの令和の時代は、中将が命を懸けて守ろうとした「100年後」まで、あとわずか20年足らずという地点にあります。
中将が地熱に耐え、故郷の夢を見ながら願った「100年後の日本」を、私たちは今、体現できているでしょうか?
中将は、故郷・唐津の風景を思い出しながら、このような歌を詠まれています。
「夢遠し身は故郷の村人に酒勧められ囲まれてあり」
この穏やかな故郷の情景を守るために、彼は敢えて死地を選びました。彼が死を賭して守ろうとしたのは、領土としての日本だけでなく、日本人の心に流れる「國體」そのものだったのです。
本日、建国祭に参加し、市丸中将の志に触れた私たちは、今こそ自問自答しなければなりません。
「私たちが守るべき日本とは何か」
「中将が命を託した100年後の日本民族として、私たちは今、正しい道を歩んでいるか」
ハリボテの議論や外来の思想への盲信を捨て、日本人が日本人としての誇りを取り戻すこと。
先人たちが命懸けで繋いでくれたこの国を、今度は私たちが「天業」として次世代へ支え繋いでいくこと。
それこそが、市丸利之助中将への、そして2686年にわたりこの国を紡いできた先祖への、最大の報いであると確信しています。
日本国弥栄!!
この祈りを、単なる言葉ではなく、行動へと変えていく一年にしていきましょう。

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