2026/5/11
基地政策特別委員会で、呉市を行政視察した。
7時集合で、羽田空港行きの高速バスに乗った。
しかし、しかしです。
袖ヶ浦で高速に乗るのに渋滞で、
なんとなんと、
羽田空港で
「もう間に合いません。出発の準備をしており、次の飛行機をご案内します」
ということで、1時間半あとの飛行機に乗る手続きをしたのでした。
午後は、呉市役所に行き、視察。
かわいいポスト。
道路がとても広く整備されていた。
なんでだろうとおもったら あとでわかった。
昭和20年に呉大空襲で、焦土と化したからだった。
おー、議事堂とはすごい。
10年前に建てた庁舎。
H17年に合併。
合併特例債を使っての庁舎建設。
人口は、ピークが40万人だったのが、
H17年には25万人。現在は20万人を下回っている。
人口がピークの半分ともなると、やっぱりなんとかしなくちゃと切実ですね。
呉市の基地の概況を呉市の職員の方に
説明してもらった。
呉市と海上自衛隊の包括連携協定 について、学んだ。
事前に出した質問にも回答をもらった。
なんだろう。この空気感。
共存共栄の70年の歴史なのか。
一番疑問に思ったのが、旧軍港市転換法に対する
市の現在、過去、未来の対応だった。
そもそもこの法律、
横須賀市、舞鶴市、呉市、佐世保市の4市には、かつて旧海軍の軍港があり、1950年6月に憲法第95条による住民投票によって国の特別の援助を求める「旧軍港市転換法(通称 軍転法)が成立、施行されている。旧軍港4市は、戦時中は軍施設に課税できず、戦後は人口が半減したことなどから、戦後復興に経済的課題を抱えていて、その解消のため、旧軍用地を平和産業のために活用できるとする特別法が議員立法で作られた。
その第8条に、「旧軍港市の市長は、その市の住民の協力および、関係諸機関の援助により、平和産業港湾都市を完成することについて普段の努力をしなければならない」とある。これを踏まえて、
2025年4月に防衛省が示した跡地利用の計画について、
呉市はどのような見解かを知りたかった。
日鉄の撤退後の跡地に防衛省の多機能な複合防衛拠点の整備の話。
むむむ、これも平和利用なのかと思った。
疑問はまだふっきれない。
呉市内には、米軍関係の3施設 広弾薬庫などがある。
しかし、日米地位協定に由来する課題はないという。
岩国市とはずいぶん違うと思った。
視察後、大和ミュージアムに行った。
1/10の大きさの戦艦大和。
この展示で、呉市は軍需産業がさかんだったが、
科学者や技術者が多くいて、
造船や航空機のエンジンなどをつくっていたことを知った。
そうかー、産業の基盤だったのかと、
午後に感じた空気感や疑問はいつのまにか消えていた。
そして、音声を聴いた。
回天という
太平洋戦争末期に旧日本海軍が開発・使用した人間魚雷(特攻兵器)。
魚雷に人間が乗り込み、操縦して敵艦に体当たりする仕組みで、
絶望的な戦況を
“天を回(めぐ)らし、戦局を逆転させる”という願いを込めて命名。
塚本太郎さんの肉声は、
生に喜びを感じつつ、死に向かうそのひとつひとつの言葉が 音声で耳に届く。
でも、なぜ、音声が残っていたのか、疑問。
ミュージアムの方に聞いた。
おとうさんがレコード会社の社長さんだったからとのこと。
単に、戦争や武器のことを展示しているのではなく、
歴史から学び取る、また、呉市を支えていた軍事産業は
全国から科学者や技術者がきて、地域ではそれを核に
産業が生まれ、発展していったことを展示している。
観光の一つに訪れる人がいるかもしれないけれど、
この町の歴史としてきちんと継承できるようにしている。
文化だなーと思った。
だんだん、空気感や疑問は、いつのまにか消えていたのはそういうことだった。
その後、道路の向かいの鉄のクジラ館にも行った。
潜水艦の中にもはいってみた。こんなせまいところに寝ていたのか。
いろいろ考えさせられた1日でした。
夜は、中国四国防衛局長(元北関東防衛局)の深和岳人さんを
委員長がお声かけをしたところ、夕食を同席された。
私のことを覚えておられた。
航空機の型式証明の質問とか。
鈴木秀子さんのこともしっかり覚えておられた。
オスプレイのことで、いろいろ質問してたことを。
2026.5.20 誤字訂正
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